瀬崎浅間神社の本社及び境内社御由緒
草加市瀬崎区は、旧入間川(毛長川筋)及び旧荒川(綾瀬川筋)の自然堤防上に発達した村落で、古墳時代の遺跡や墳墓跡等が記録され、中世には大永三年(一五二三)銘の板石塔婆に依っても、その一端がうかがえます。
当社の創建については明らかではありませんが、古くは、瀬崎の中央部に元の浅間社が鎮座しておりました。ところが後に、別当寺となる新義真言宗宝光山安楽院善福寺が、寛永四年(一六二七)に閲創されるにいたり、同年代に寺の守護として、元社から新たに現在の地に勧請され、当地域の代表的な神社に発展してきました。
御祭神は霊峰富士山の御神霊木花咲耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)で、瀬崎の産土神として、また、鎮守として安産・子育て・癪に霊験あらたかであり。他に、厄除け・除災招福が心願成就すると言われています。
社殿の改築は、宝暦六年(一七五六)五月と天保十三年(一八四二)に再建され、明治元年(一八六八)には、大政官布告の神仏分離令により独立し、同六年四月に、諸社
制度の布告により、瀬崎村の村社に格付されました。同四〇年五月には、一村一社令により、谷塚村旧村の内、東遊馬・柳島・彦右御門新田・市右衛門新田・上八塚・瀬崎の大字は、旧村持及び組持の神社はすべて当社に 合祀となり、同四十三年十一月に神饌幣帛供進神社に指定されましたが、終戦後の昭和二十一年神道指令により村社制は廃止となり、同二十七年四月十五日宗教法人を組織して、現在に至っております。